運転免許証の更新手続きをしてきました。

 今日のお昼12時15分に予約していた更新手続きですが、自宅を早く出過ぎて11時半には布施警察署へ到着していました。
 窓口で恐る恐る「少し早く来すぎたのですが、やっぱり予約時間までは受付してもらえないんですよね?」と尋ねると、「手続き自体は今からでも出来ますけど、講習は予約時間にならないと受ける事が出来ませんので、どちらにしてもかなり待って貰う事になります。」と言われました。
 気忙しいのは嫌なので、先に更新手続きをして貰う事に。例の如く受付手続きをしたり証紙を買ったり目の検査をしたりと、あちらこちらの窓口を移動して手続きを完了しました。
 そして「講習は午後1時5分からになります。会場は近くの交通安全協会になりますので、時間の5分前までに到着して下さい。」と言われました。

 暫くは冷房の効いた警察署内でベンチに腰掛けて暇潰しをしていたのですが、次から次へと更新手続きに来る人が増えてきたので、隣接するスーパー「ライフ 八戸ノ里店」へ移動し、休憩コーナーでボーッと時間が過ぎるのを待っていました。このライフでは16箇所有るレジのうち、4箇所はセルフレジになっているようで、手慣れた人はサッサと会計をしていましたが、やはり年配の方はかなりもたつている様子でした。いずれいつも通っている近所のライフにも導入されるんだろうなぁと思いつつも、豚はセルフレジは無理だなと思いました。

 そして12時半に交通安全協会へ移動し、窓口で免許証の発送手続きを済ませてから、またそこのベンチでボーッと過ごす事に。13時前になり会場へと案内されると、そこは10人くらいしか座る事の出来ない小部屋でした。そこに5人が一つずつ席を空けて着席。以前の更新までならここでDVDが流され、時間まで視聴したらそれでOKだったのですが、今回からは講義形式で指導員の方の授業が有り、30分間の講習時間は全て生授業でした。

 それで全ては完了したのですが、また自宅まで灼熱の道路を自転車で帰らなければなりません。豚の足の関節は相当痛んでいるらしく、少し前までは自転車なら関節痛を感じる事は無かったのですが、今日は両足の関節共にかなりの痛みがありました。本来ならば整形外科で何らかの治療をするべきですが、掛かりつけの外科では「先ずは体重を減らさないと、どんな治療をしても無駄。」と言われています。脊柱管狭窄症も関節痛も、全ては体重増加による症状だとの事でした。

 痛みを我慢しつつ帰路を約30分掛けて走り、無事に帰宅。次に待っているのはマイナンバーカードの受け取りです。これも完全予約制で、東大阪市役所本庁まで受け取りに行かなくてはならないので、豚にとってはこれまた大仕事です。8月の出来るだけ早いうちに受け取りに行こうと思っていますが、お盆が有るので市役所の業務がどうなっているのか今の所不明です。しかし緊急事態宣言が発出されている状況で、なにが何でも本人かその代理人が受け取りに行かなくてはならないと言うシステム、どうにかならないものでしょうか……。

PythonとC++。

 ツイッターを見ていたら、とあるプログラマの方が「挫折を経験してこそ、初めて上達できる。」と書かれていました。
 この言葉自体は別にどうという事は無く、豚も授業では偉そうに生徒達に語っていました。でもその時は、豚は本当の挫折を知らなかったんだと思います。

 豚が初めて本当の挫折を経験したのは、プログラマになってから5年目でした。詳細は何度も過去に書いているので省きますが、国内で初めてPC98用C++コンパイラを開発した方(直属の上司ですが)に、豚が5年がかりで携わっていたプログラムのコードを見て「よくこれで今まで動いていたな……」と言われてしまい、その仕事を他の人に振られてしまった時に、今までの自信とプライドが音を立てて崩れ、「もう自分はプログラマとして、やっていく事は出来ない」と思いました。
 そしてその日中に辞表を提出し、特に引き継ぐ案件も無かった事からその日が最後の出社となりました。一応慰留はされましたが、完全に自分を失っていた豚は固辞しました。

 なので、今はC/C++とアセンブラが得意と言っていますが、実のところはアセンブラはともかくC/C++はかなり怪しいのが事実です。
 かと言ってC言語を基礎からやり直そうと思っても、既に知っている事ばかりですから勉強が退屈でたまりません。
 でもC++は授業で教える程度のかなり基礎知識しか豚も理解していませんので(一応コードは書けますが)、今年はPythonの基礎と並行してC++もより深く勉強してみようと思います。C言語もかなり奥が深い事は知っていますので、C++を復習する過程で再度触れてみようと思います。
 当初予定していたC#やUnityを使った開発は、もう少し先延ばしにします。

 23年間抱き続けたトラウマを、今年こそ克服できれば良いなと思います。将来の展望はその先にあります。頑張ろう……。

半年ぶりに散髪へ……。

 今日の起床は昨夜22時30分。約2時間半の睡眠でした。最近弟は昼夜逆転しているので、これから長ーい一日が始まります。
 そして、今日は運転免許証の更新へ八戸ノ里にある布施警察署まで行く予定です。昨日はその証明写真を撮るために、約半年ぶりに散髪へ行ってきました。
 大体豚は、年末と夏場に1回ずつ散髪へ行くのですが、もううんざりする程伸びきって自分でも鬱陶しくて堪らなくならないと、中々理容店には足が向きません。
 現役で働いているときは、毎月のように散髪して貰っていましたが、鬱に罹患してからは今のペースになってしまいました。

 運転免許証の更新は、前回までは期限内に行けば何時でも可能でしたが、コロナ禍が影響しているのか、完全予約制になってしまいました。本来は27日に行く予定でしたが、台風の動きにより大阪の天気も影響されるので、大事を取って少し伸ばしました。しかし、今月で空いていたのは30日のお昼に1名分のみでした。何とかその枠を押さえたので、明日は自転車で少し長い距離を走ってきます。

 しかし最近眼鏡が会わないようになってきているので、視力検査が心配です。もし検査で落ちて眼鏡を作って貰うにしても、一週間以上は掛かります。豚の更新期限は8月7日までなので、かなりギリギリか間に合わない可能性も出てきます。そんな場合の救済措置については一切更新ハガキには書かれていないので、かなり不安です。

 今回更新すれば、次回は5年後なので、頑張って行ってきます。

脳トレの必要性。

 今日、親父が来年受ける運転免許の認知試験のサンプル問題にチャレンジしてみました。
 問題自体は簡単なのですが、記憶力やその応用を試される試験ではボロボロ。合格基準点の半分も取る事が出来ませんでした。
 特に豚の頭はスタックの構造になって居らず、後入れ先出しに対応していないため、記憶した単語を逆から述べて下さいと言う問題には全く答えられませんでした。

 問題はニンテンドーDSで一時流行した「脳トレ」の問題に近い物が結構ありましたので、今からでも脳トレを引っ張り出して、頭を鍛える練習をしておこうかなと思います。
 ちなみに豚は脳トレでの脳年齢は「79歳」(うろ覚え)並でした……。

 言い訳すると、これでもかと言うくらいに毎日抗鬱剤と向精神薬を服用し、脳の動作を完全に薬によって制御されているので、年齢相応の結果を求めるのが無理と言うものです。
 特にフラッシュバックが起きて強烈な鬱に苛まれるので、それを防止するために過去の記憶を出来るだけ思い出さない様な処方になって居るはずです。
 豚が認知テストを受ける年齢になった頃には、自動運転が標準化されている事を祈るしかありませんね……。

 ちなみに、子供の頃受けた知能指数を計るテストでは、IQ50も無かったような気がします。これは記憶違いかも知れませんが、豚は児童・生徒・学生時代には全く勉強が出来ず、成績はいつもズタボロでした。高2の時に1回だけ実力テストで学年1位を取った経験はありますが、それも現代国語のみ。進学理系クラスに居ながら文系テストで1位を取ってもなぁ……と言う感じでした。

 豚は地頭が悪いので、これ以上衰えないようにしていかなきゃなぁと思います。
 

今日は土用の丑の日。

 毎年うちではローソンのうな重を予約しています。毎年特上を予約するんですが、今年は更にその上に特特上なるウナギを1.5尾使ったメニューも出ていました。でも豚の家では特上で十分なので、それを家族分予約してあり、今日の昼前に取りに行きます。

 昨日、小銭貯金を郵便局に持っていったら4万円程有ったので、今年も豚がうな重を家族にご馳走する事にしました。昨年は政府から貰った給付金でご馳走しました。
 豚はいつもお金が無いので、こんな時にしか親孝行出来ません。まぁ微々たる孝行ですが、気持ちだけと言う事で。

昨日は……。

 今日は午後11時35分に起床。これから豚の一日が始まります。
 昨日(正確にはまだ今日)はダイエットを誓ったのですが、朝御飯を抜いたのは良かったものの、昼ご飯はコンビニでおにぎりを4つ購入して食べてしまいました。多分カロリーは物凄いと思います。
 オマケにおやつに「ピノ」を3箱。1箱180kcal程ですから、これまた結構なカロリーを摂取してしまいました。

 今日こそはカロリー制限をしようと思って居ますが、どうなるかなぁ……。
 ちなみに昨日の夕ご飯は、カボチャの煮物、卯の花(おから)、あじの南蛮漬けと低糖質のパックご飯でした。

 今日はお昼ご飯に「うな重」を予約してあるので、それだけでカロリー摂取目標の1,550kcalに達してしまいそうです。

 朝晩を控えなければいけませんね。

135キロ。

 今朝、体重を量ったら、物凄くヤバい事になって居ました。
 今までの最悪記録136Kgに迫る135Kg……。先週計測した時には128Kgだったので、一週間で7Kg贈です。
 心当たりは沢山あるのですが、一番の悪因は「レディーボーデン」の大きなカップを3つ、毎日食べていた事だと思います。多分摂取カロリーは2000キロカロリー位は有ると思います。
 それに加えて、小腹が減ったらカップヌードルBIGをおやつに食べたり、昼食に「ペヤング 超超超大盛りGIGAMAX 2142Kcal」を3回程食べました。

 それに引き換え豚は基本引き籠もりなので、運動は殆どしていません。一日3,000歩も歩けば良いところでしょうか。
 道理で自転車のエアーが、入れても入れてもすぐに抜けてしまうはずです。

 このままではマジで命に関わるので、今日からは「レディーボーデン」は止めます。インスタント麺も当分お預け。
 食事はキチンと摂りますが、炭水化物は極力控え、野菜中心の和食にシフトしていきます。

 思えば亡くなられた掛かりつけの内科の先生が主治医だった頃は、128Kgから108Kgに迄減っていました。おじいちゃん先生でしたが怖い先生でしたので、診察の度に減量の具合を聞かれて、食べ過ぎていたりすると怒られていました。炭水化物を一切禁止されて、ご飯・パン・麺類は禁止。代わりにおかずで野菜と肉類でお腹を満たすように指導されていました。
 実際指導のお陰で2ヶ月くらいで108Kg迄の減量出来ました。
 その先生が仰っていたのは、「ライザップみたいなところで減量は、絶対ダメです。相当体に負担を掛けるので、一時的にはかなり減量出来るけど、必ずリバウンドします。理想は一ヶ月で700g程ずつ減らす事。」でした。豚は700gどころかキログラム単位で減った訳ですが、このまま行けば100kgを切るのも遠くないと思った矢先、その先生は亡くなられてしまいました。気管支炎に罹って総合病院で「即入院が必要」と言われたときも、入院するわけには行かないので、無理を言ってその先生のところで通院で治療したいと言うと、その先生は土曜や祝祭日にも豚にだけ抗生物質の点滴を打って下さいました。1回2時間近い点滴だったのに、1日2回豚だけのために病院を開けて下さり、点滴が終わるまで付き添って下さいました。お陰で入院する事無く2週間程で、相当重度な気管支炎だったのが寛解しました。
 豚にとっては本当に恩人だったので、その先生の言う事は自然と素直に聞いていましたので、ダイエットも真面目に取り組んでいました。
 しかしその先生が亡くなられると、心にぽっかり穴が空いてしまい、取り組んでいた減量もいつの間にか止めてしまいました。

 今は新しい掛かりつけの先生の所でお世話になっていますが、先生が優しい方なので、ついつい甘えてしまっている状態です。豚は狭心症にも罹患しているのですが、これは「心臓が悲鳴を上げている状態なので、何とかして目方を減らして下さいよ」と言われているものの、以前の様な厳しい食事制限をしていませんでした。

 今は最寄りのスーパーまで歩く事さえ無理で、常にニトロを持ち歩いている状態です。腰と膝も痛めているので、近所の散歩すら困難なのですが、今日から冷凍食品を買うとき以外は、自転車を押して出来るだけ徒歩でスーパーに通おうと思います。距離的には徒歩10分以内の近距離ですが、それすら今は歩く事が出来ませんから……。

今朝未明から咳が……。

 今日は午前0時過ぎに起床したんですが、何だかその時から咳がやたらとでます。
 発熱は無いのでコロナでは無いと思いますが、買い物にお店なんかに入って、そこで咳をすると、一斉に皆さんの視線が集まります。

 昨夜は室温が余りにも高かったので、エアコンの温度設定を低めにしたせいなのかな……。
 まぁコロナでは無いと思いたいですが、小まめに体温を測っておこうと思います。

 来週にはワクチン2回目の接種が有るので、それまでは少なくとも体調を万全にしておきたいですね。

派手にこけた……。

 今朝一番に用事を済ませた後、コンビニに寄って炭酸1リットルペット10本とチキンのフライを買って自転車の前籠に積み、ハンドルを握ろうとしたその時、自転車がバランスを崩してコケそうになりました。そこで慌てて豚がハンドルを握ったのですが、時既に遅し。勢いづいて倒れる自転車に引っ張られて、豚も派手に転倒してしまいました。
 炭酸水のペットは辺りに散乱、当然ながら助けてくれる人は居らず、急いで体勢を立て直して散乱したペットボトルを拾い集め、店頭を後にしました。
 ジーンズは左膝が破れており、少し膝も擦り剥いたようです。ズボンを破るような転倒をしたのは、24年前に離婚した直後に新婚旅行で行ったハウステンボスに一人で出かけ、楽しかった思い出を捨ててこようと傷心旅行に行った時以来です。ハウステンボス内のワインカスティールで真っ昼間からしこたまワインを飲み、更にホテルで飲もうとワインボトルを数本手に持ったまま段差に躓き、派手にコケたとき以来です。当然着替えのズボンを持っているわけも無く、コーデュロイのズボンの左膝がパックリと破れたまま、旅行を続ける羽目になりました。
 あの時は痛みででは無くて、情けなくて泣きそうになりました。

 何だか最近、何か事ある毎に昔を思い出します。歳のせいなのか、寿命が近いのか……。

言いたくは無いけど……。

 昔に戻りたいと、最近特に思います。出来れば30年前、二十歳の頃が一番楽しかったし仕事も充実していました。まだ専門学校の教員時代で、プログラマになる前です。
 槇原敬之の「どんなときも」で「昔は良かったなんて、いつも口にしながら、生きてゆくのは、本当に嫌だから……」と言う一節がありますが、当時は「昔が良かったなんて思うはずが無い。こんなに毎日が楽しいのだから。」と思っていました。
 当時の豚のスキルは「Z80」「8086」各アセンブラとC言語、それにC++を囓った程度という状態でしたが、豚が最初に受け持った学科が「マイコンシステム科」と言うハードウェア寄りの学科だったので、このスキルで十分でした。アセンブラは高校時代からハンドアセンブルから始めて、PC-8801用のアセンブラ「DUAD88」で毎日コードを書いていました。高校卒業時にはハードの資料さえ有ればZ80でなんでも書けると言う変な自信も持っていました。
 だから卒業旅行で東京へ行き、ソフトハウスへ押しかけ訪問(今考えると迷惑千万ですね)したときに、日本テレネットから紹介して貰ったウルフチームで、社長から直接「卒業したらうちで働かない? いや、冗談じゃ無くて。」と言われたときは真剣に迷いましたが、もう専門学校へ学費を納入していたので、お断りしました。「それでも……」と言った下さったのに断ったのは、今思うと愚かな選択でした。学費を無駄にしてもウルフチームで経験を積んだ方が、豚にとっては何千倍も良かったと思います。
 その後ウルフチームに紹介して貰った工画堂スタジオでも大変良くして頂きました。

 今でこそC言語が得意だと言えますが、当時はZ80が一番の得意でした。6502や6809、68000系の石は触った事がありません。ウルフチームの社長が「今、面白い石を触ってるんだ」と言って見せてくれた開発室には、X68000が有りました。そしてこれからはPC-88は衰退してPC-98がメインになってくるから、8086でコードを書けると良いよと教えて貰い、帰阪した翌日に30万円握りしめて日本橋のでんでんタウンに、PC-9801RX21を買いに行きました。

 今では欲しいツールがあれば、先ずググってネットで探しますが、当時は欲しいツールがあれば、先ず自分で作るのが当たり前でしたので、必死に8086のニーモニックを憶えました。
 卒業後に進んだ専門学校では、Z80でロボットを制御したり、PC-9801で8086アセンブラやC言語を学びました。当然電気回路も学びましたが、豚はそちらは苦手で、いつも居残りで回路を作っていました。当時は「フリップフロップ回路って何?」と言うレベルでしたので、よくこんな奴を教員として雇ってくれたものです。

 高校時代から専門学校教員時代が、一番楽しくて充実していました。教員採用には面接と筆記、口頭試問など合計8回の試験がありました。でも人生の中で豚が採用試験を受けたのはこれが最初で最後で、後は誘われて入社した会社ばかりでした。

 豚は未だにWindowsアプリにはアレルギーがあります。それまではDOSアプリなどのハードを直接叩くコードばかり書いていたので、Windowsのメッセージの流れ等は理解不能でした。イベントドリブンと言う概念が今まで無かったので、シングルタスクのみで完結するアプリ以外は書けませんでした。
 最後にプログラマとなった会社の一つ前に、C言語でハードを制御しているプログラムのメンテナンス(要は組み込み型コンピュータのメンテナンス)を行う、とある外資系企業に誘われたのですが、日本全国に出張する必要があると言う事でお断りしました。今でも謎なんですが、この会社は豚が専門学校の教員を辞めたと言うのを、どこで聞きつけたのかわかりません。「人づてに……」と言う事は言っていましたが、不気味です。

 最後に努めた会社を辞めた時、「もう2度とコードを書く事は無い」と割り切って、資料やら何やらを一切合切処分しました。入社して以来ずっと関わっていた製品(テレビCMも流れていたので製品名を明かすと知っている人も多いはず)のとあるモジュールを担当していましたが、その頃はボロボロ状態。残業も月200時間超えはザラでしたし、そもそもWindowsプログラミングを十分に理解していない豚がやるべき仕事ではありませんでした。この仕事に携わったお陰で、プログラミングには苦手意識を持つようになり、「自分は落ちこぼれなんだ」と言う事が骨身にしみて理解できました。当時は既に鬱に罹患していたので、余計に自分に自信を無くしました。

 その後は10年近くとある零細企業で取締役をのんびり務めた後、その会社が事業を畳むときに合わせて障害年金を申請。申請自体は落とされてしまいましたが、事後重症で支給してもらえるようになり、今に至ります。

 長々と愚痴になってしまいましたが、豚が「昔に戻りたい」と思う理由です。しかし我ながら情けない人生を送ってきてるなぁ……。今ではすっかりアセンブラも忘れてしまった「破廉恥で怠惰な豚」に成り下がってしまいましたとさ……。