カッコワルイとはこういうことさ

飛ばない豚の格好悪い日常を書き綴る、豚の独り言。

言いたくは無いけど……。

カッコワルイとはこういうことさ

飛ばない豚の格好悪い日常を書き綴る、豚の独り言。

言いたくは無いけど……。

 昔に戻りたいと、最近特に思います。出来れば30年前、二十歳の頃が一番楽しかったし仕事も充実していました。まだ専門学校の教員時代で、プログラマになる前です。
 槇原敬之の「どんなときも」で「昔は良かったなんて、いつも口にしながら、生きてゆくのは、本当に嫌だから……」と言う一節がありますが、当時は「昔が良かったなんて思うはずが無い。こんなに毎日が楽しいのだから。」と思っていました。
 当時の豚のスキルは「Z80」「8086」各アセンブラとC言語、それにC++を囓った程度という状態でしたが、豚が最初に受け持った学科が「マイコンシステム科」と言うハードウェア寄りの学科だったので、このスキルで十分でした。アセンブラは高校時代からハンドアセンブルから始めて、PC-8801用のアセンブラ「DUAD88」で毎日コードを書いていました。高校卒業時にはハードの資料さえ有ればZ80でなんでも書けると言う変な自信も持っていました。
 だから卒業旅行で東京へ行き、ソフトハウスへ押しかけ訪問(今考えると迷惑千万ですね)したときに、日本テレネットから紹介して貰ったウルフチームで、社長から直接「卒業したらうちで働かない? いや、冗談じゃ無くて。」と言われたときは真剣に迷いましたが、もう専門学校へ学費を納入していたので、お断りしました。「それでも……」と言った下さったのに断ったのは、今思うと愚かな選択でした。学費を無駄にしてもウルフチームで経験を積んだ方が、豚にとっては何千倍も良かったと思います。
 その後ウルフチームに紹介して貰った工画堂スタジオでも大変良くして頂きました。

 今でこそC言語が得意だと言えますが、当時はZ80が一番の得意でした。6502や6809、68000系の石は触った事がありません。ウルフチームの社長が「今、面白い石を触ってるんだ」と言って見せてくれた開発室には、X68000が有りました。そしてこれからはPC-88は衰退してPC-98がメインになってくるから、8086でコードを書けると良いよと教えて貰い、帰阪した翌日に30万円握りしめて日本橋のでんでんタウンに、PC-9801RX21を買いに行きました。

 今では欲しいツールがあれば、先ずググってネットで探しますが、当時は欲しいツールがあれば、先ず自分で作るのが当たり前でしたので、必死に8086のニーモニックを憶えました。
 卒業後に進んだ専門学校では、Z80でロボットを制御したり、PC-9801で8086アセンブラやC言語を学びました。当然電気回路も学びましたが、豚はそちらは苦手で、いつも居残りで回路を作っていました。当時は「フリップフロップ回路って何?」と言うレベルでしたので、よくこんな奴を教員として雇ってくれたものです。

 高校時代から専門学校教員時代が、一番楽しくて充実していました。教員採用には面接と筆記、口頭試問など合計8回の試験がありました。でも人生の中で豚が採用試験を受けたのはこれが最初で最後で、後は誘われて入社した会社ばかりでした。

 豚は未だにWindowsアプリにはアレルギーがあります。それまではDOSアプリなどのハードを直接叩くコードばかり書いていたので、Windowsのメッセージの流れ等は理解不能でした。イベントドリブンと言う概念が今まで無かったので、シングルタスクのみで完結するアプリ以外は書けませんでした。
 最後にプログラマとなった会社の一つ前に、C言語でハードを制御しているプログラムのメンテナンス(要は組み込み型コンピュータのメンテナンス)を行う、とある外資系企業に誘われたのですが、日本全国に出張する必要があると言う事でお断りしました。今でも謎なんですが、この会社は豚が専門学校の教員を辞めたと言うのを、どこで聞きつけたのかわかりません。「人づてに……」と言う事は言っていましたが、不気味です。

 最後に努めた会社を辞めた時、「もう2度とコードを書く事は無い」と割り切って、資料やら何やらを一切合切処分しました。入社して以来ずっと関わっていた製品(テレビCMも流れていたので製品名を明かすと知っている人も多いはず)のとあるモジュールを担当していましたが、その頃はボロボロ状態。残業も月200時間超えはザラでしたし、そもそもWindowsプログラミングを十分に理解していない豚がやるべき仕事ではありませんでした。この仕事に携わったお陰で、プログラミングには苦手意識を持つようになり、「自分は落ちこぼれなんだ」と言う事が骨身にしみて理解できました。当時は既に鬱に罹患していたので、余計に自分に自信を無くしました。

 その後は10年近くとある零細企業で取締役をのんびり務めた後、その会社が事業を畳むときに合わせて障害年金を申請。申請自体は落とされてしまいましたが、事後重症で支給してもらえるようになり、今に至ります。

 長々と愚痴になってしまいましたが、豚が「昔に戻りたい」と思う理由です。しかし我ながら情けない人生を送ってきてるなぁ……。今ではすっかりアセンブラも忘れてしまった「破廉恥で怠惰な豚」に成り下がってしまいましたとさ……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

Copyright © 2022 Site proudly powered by WordPress